いかに懐古厨を葬るか、あるいは人はなぜ保守的になるのか

大袈裟な表題を掲げてみたが、私自身はさほど文書力のある人間では無いので内容について大きな期待はされないことをお願いしたいと思う。

などと予防線を張りながら、ハードルを下げながら考えることをつらつら綴っていこうと思う。続けていければ良いのだが途中で飽きることもあるのでご容赦を。

つい先ほど何かの拍子で魔女の宅急便のキキが旅立つ前までを見ていたのだが、滅多にテレビで感動することのない自分がうっすら涙ぐんでいたことに気がついた。まあ、あのクオリティであの親子関係をこんな時間に一人見ていていたら無理からぬことだよなあと考えていたのだが、その時に思ったことは物語の感想についてと同時に、こうやって遥か昔のアニメに涙ぐんでいるこのまぎれもない現実から"人はやはり過去の作品の方が手っ取り早く感動できるし、過去の思い出が大好きなのだな"と思ったりもした(別に過去を否定しているわけではない。そこは誤解なきように願います)。

そして人間は過去に寄り添い、過去を愛でているとやはり未来に心が動きにくくなるのではと思った。現にスターウォーズは未だに世界中で人気だし、日本では過去に流行った音楽がテレビ受けが良いようだから。かく言う私も、もしテレビでミスチルの音楽が流れればブツブツテレビに文句を言いつつ目を止めるに違いない。

 

人々は未来が怖いのだろうか。未来はリスクなのだろうか。過去は小さなリスクで大きなリターンをもたらしてくれるのだろうか。

しかし私達は生きていく上で常にリスクに向き合っていかなくてはならないのでないのだろうか。そんなことを何となく思ったりもした。

表題に対する答えは果たして何だったのか。

うっすら明るくなりつつある夜明けとともにぼんやりと考えていた。