どんな赤子の泣き声にも主張がある

台風一過のあとの長閑な、というより少し間の抜けた朝。なんだか気まずい空気を埋めるかのように鳥がちちちちと鳴いている。ちちちち・・・・。

本を読みながら少し考えていた。

世の中には読まれるブログの書き方なる方法が溢れている。曰く「毎日書きなさい」、曰く「目を引く写真を載せなさい」などなど。そして、なるほどなるほど、とせっせと書いては続かずに挫折して自己嫌悪に陥る。だけども、もうそういうのっていいんじゃないのか、って。そんなことをぼんやりと考えていた。毎日書かなくってもいいんじゃないか。

書きたいときに書きたいことを書く。

もうそれでいいんじゃないかって、そう思うことができた。たしか村上春樹が言っていた「どんな髭剃りにも哲学がある」って。僕なりに言い換えるならば「どんな赤子の泣き声にも主張がある」、そんな心持だ。もちろん僕の書く文章にそんな優れた主張があるわけでも、含蓄があるわけではない。その点誤解なきように言いたい。けれど少なくとも僕は自分の書きたいことを書く。読み手ファーストなんてクソ食らえ。どう読まれるかではなくって、何が書きたいかなんだ。

 

今朝読んでいた村上春樹の「もしも僕らのことばがウィスキーであったなら」を読んでいて、やっぱり村上春樹の文章は引き込まれると思った。比喩がほかの作家に比べて独特で少し違う。村上春樹は終わったと誰かが言っていた。僕も正直それは感じるし、村上春樹も歳をとったと思う。物書きに歳は関係ないかもしれないけど、村上春樹に関しては老いを感じさせる。だけど過去の本は違う。若々しくて毅然としていて、ユーモアに溢れている。この本もそう。そう感じさせた。

 

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

 

 

唐突だけどそんなことを考えさせられた。

「どんな赤子の泣き声にも主張がある」

よかったもの

よかったもの。

大航海時代IIのBGM

自分の中で菅野よう子といえばカウボーイでも攻殻でもなく大航海時代のBGMだ(実はカウボーイも攻殻もまだ見てません)。大航海時代はIIの音楽が大好きで後から菅野よう子が作曲していたということを知ってびっくりした。なぜか。それは大航海時代IIとはかなり昔のgameであり、そして菅野よう子は最近でも大河ドラマのBGMを担当するなどまだまだ衰えを知らず活躍しているからだ。ここまで幅広くそして長く一線で活躍しているなんて本当に凄いと思う。伊藤賢治すぎやまこういち久石譲菅野よう子は本当に好きだし、聴いていて飽きない。音楽家として聴いていて飽きないというのは単純だけど凄いと思う。

たまたま、不意に大航海時代IIのBGMをyoutubeで聞き、そんなことを思った。先日懐古厨を葬るなどと気障なことを言いながら少し恥ずかしいのだが、いたく感動したので綴ってみた。まだ聴かれていない方は是非。

 

■僥倖。セブンイレブンのシュークリーム

とある理由で(と言ってもたいした理由ではないのだが)頂いたセブンイレブンのシュークリームが美味しかった。たっぷりクリームが入っていて、そしてくどくない。不意に頂いたということも相まって、そんな喜びも加わっていやに美味しかった。

自分の住んでいるような片田舎だと当たり前だがなかなかおいしいものは手に入りにくい。 なのでセブンイレブンほどのクオリティでも美味しく感じるのだ。勿論、世の中にはもっと美味しいシュークリームは存在すると思うのだけどその時は本当に美味しいと思ったのだ。写真を撮ったのでのっけておく。

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いかに懐古厨を葬るか、あるいは人はなぜ保守的になるのか

大袈裟な表題を掲げてみたが、私自身はさほど文書力のある人間では無いので内容について大きな期待はされないことをお願いしたいと思う。

などと予防線を張りながら、ハードルを下げながら考えることをつらつら綴っていこうと思う。続けていければ良いのだが途中で飽きることもあるのでご容赦を。

つい先ほど何かの拍子で魔女の宅急便のキキが旅立つ前までを見ていたのだが、滅多にテレビで感動することのない自分がうっすら涙ぐんでいたことに気がついた。まあ、あのクオリティであの親子関係をこんな時間に一人見ていていたら無理からぬことだよなあと考えていたのだが、その時に思ったことは物語の感想についてと同時に、こうやって遥か昔のアニメに涙ぐんでいるこのまぎれもない現実から"人はやはり過去の作品の方が手っ取り早く感動できるし、過去の思い出が大好きなのだな"と思ったりもした(別に過去を否定しているわけではない。そこは誤解なきように願います)。

そして人間は過去に寄り添い、過去を愛でているとやはり未来に心が動きにくくなるのではと思った。現にスターウォーズは未だに世界中で人気だし、日本では過去に流行った音楽がテレビ受けが良いようだから。かく言う私も、もしテレビでミスチルの音楽が流れればブツブツテレビに文句を言いつつ目を止めるに違いない。

 

人々は未来が怖いのだろうか。未来はリスクなのだろうか。過去は小さなリスクで大きなリターンをもたらしてくれるのだろうか。

しかし私達は生きていく上で常にリスクに向き合っていかなくてはならないのでないのだろうか。そんなことを何となく思ったりもした。

表題に対する答えは果たして何だったのか。

うっすら明るくなりつつある夜明けとともにぼんやりと考えていた。